震災雑感
あの日は、低いうなり声のような音が近づいてくるので目が覚めた。ジェット戦闘機が飛んでくる感じと言ったらいいのだろうか、とにかくその「ゴゴゴゴゴゴ」という轟音が遠くから聞こえてきて、次第に自分を包んでいった。その直後、縦横に30cmくらいの揺れ幅で、モミクチャに揺すられた。小さなハムスターが人間の掌に捕らえられて小刻みに思い切り振られたら、きっとそんなふうに感じるに違いない。本能的に、とっさに布団を頭からかぶった。布団の中で眼をつむり、ひざを抱えて丸くなりながら、赤とか緑とか青とかの光がピカピカと激しく光るのが見えた。自分の身を守るのが精一杯のその高校3年生の上に倒れてきたのは上にパナソニックのカセット・デッキをのせた洋服ダンスだった。
轟音がだんだん小さくなるにつれて、揺れも収まっていった。自分の上に倒れかかっているタンスをどけて(幸い安物の軽い合板のタンスだったから良かった)部屋を見渡すと、もともと汚い部屋がもう足の踏み場もないくらいになっていた。部屋を出てダイニングに行ってみると、食器棚に入っていたほとんどの食器があふれて割れ、散らばっていた。母親は、それを片付けようにもどこから手を付けていいのか困惑している様子だった。35インチくらいのブラウン管テレビが1mほども移動して、画面を下にして倒れていた。幸運なことに家族は全員が無事だったが、近所に住んでいた大叔母「末永のおばちゃん」が亡くなった。初めて見る人の遺体――とても穏やかな顔をして、ぐっすりと眠っているようだった――とグチャグチャになった町並みに、なにか非現実感のようなものを感じていた。すべてのライフラインは完全にストップしていた。
それから約2ヶ月間、想像もしなかったくらいの不便な生活が待っていた。トイレは流せないし、頭は洗えないし、寒いし空腹だし。うちは家が無事で、なおかつ電気が当日に来たのでかなりいい方だったけど。おかげで、現代の日常生活は、実にか細い線がつながっているおかげで成り立っていることを知った。それが切れるのはわりとかんたんだった。そして少しでも切れてしまうと途端にふだんの生活全体が破綻してしまうのだった。当たり前に思っているものは、実は当たり前ではない。人間の命も同じで、あの時さまざまな形で命を落とした6千余名の中に、なにかのアヤで自分や家族や今の嫁さんが入っていたかもしれなかった。
子どもを持つに至ったいま、そういった体験を彼らに伝えていかなければならない義務のようなものを、僕らのような生き残った人間は持っているような気がする。この便利な暮らしは当たり前でないこと、何が一体しあわせなのか、生きていることの奇跡、などなど。体験しないとなかなか分からないことは分かっているし、自分でもまだ分かってないことは多いけれど。それから、家族を守る立場としてあの時期を過ごした両親には、いまつくづく感謝したいと思う。年中こんなことを考えているわけではないけれど、1月17日はそれを改めて思いださせてくれる特別な日なのだ。
有リ難シ、有リ難シ。
壁を一枚抜いてみる
先日、今回のリノベ計画の設計を担当して下さっている建築家の與儀さんが来てくれて現地調査。大工の宮脇さんに構造部分のアドバイスをいただいたところ、けっこう大胆に手を入れられることが判明して、テンションがかなり上がってきています。
「この壁は抜いてしゃーない(OKだ)、これもしゃーない、この柱は抜かんほうがええのう」というように教えてもらいましたが、宮脇さんの話を噛み砕くと、この家のような伝統工法は、ほとんど柱と梁だけで構造体をつくっており、壁はあまり耐力の要素ではないようでした。そして床梁も一部取っ払って良し。柱だけは大事においておいたら、なんだ、わりと自由にやってもいいんや!(笑) そんなわけで、與儀さんの設計も滑らかに進んでいます。
この調査の日、あわせて玄関とキッチンを仕切っていた壁をとってしまうという作業を行いました。この家への初めての大きな手入れです。この壁は比較的新しい造作壁(土壁でなくて、木の間柱の上にプリント合板を貼ったもの)で、玄関からキッチンへの目線をカットする役目を持っていたのですが、おかげでやや閉塞感があり、また玄関からの光を遮ってキッチンを暗くしていました。
作業は因島の大工の箱崎信賢さん(ノブさん)が全面協力。あれよあれよという間に壁が解体されていくさまはまさに圧巻。惚れ惚れしました。ついでに天井に貼られていた昭和中期の香りのする仕上げ板も撤去すると、そこから渋いダーク・ブラウンの梁と2階の床板が出現。いやー、やっぱりこっちのほうが断然カッコイイ。ノブさん、ありがとうございました! (まだまだリノベの道は続く……。)
リノベ計画スタート
父子の対話

うちの父です。年というほど年でもないですが、最近祖母(つまり彼の母親)にすごい似てきたと思う。
「阿波踊り見に行かへん?」と父親から珍しく打診があって、ちょうど夏休みだし家族旅行にいいかなと思って行ってきました。阿波踊りを見るのは初めて。老若男女がそれこそ「阿呆」になって踊り狂うという、なんか恥ずかしい祭りだなあと昔は思っていたけど実際に見れば、真夏のエネルギーを全力で発散する、素晴らしく楽しくてまた行きたくなるものでした。 続きを読む…
あまり誰も見ないような景色へ

2009年の妻有トリエンナーレで訪れたとある神社。どこだったかは忘れたけど、朝早く起きて、宿から散歩に出た時に偶然立ち寄った。とても静かな佇まいだった。だれか知らない人が一人、僕と同じように引き寄せられてきていた。
あまり誰も行かないようなところに行ったり、人とはちょっと違うルートをとってみたりすることに魅力を感じます。根がアマノジャクだからでしょうかね。その違うルートのなかに、他の人には見えない風景とか、情景とかがあって、なんかそれをわざわざ見に行きたいなあと思うのです。 続きを読む…
てしごと市
もう先週になってしまったけど、弓削で「てしごと市」というのがありました。島おこし協力隊の藤巻さん企画のイベントで、この近辺で手づくりのものをつくっている人たちによるマーケット。うちの嫁さんも声をかけていただき、そこに出店しました。 続きを読む…
海開き

(いちおう)娘です。僕がいない間に誰かが撮ったらしい(笑)。
今日、弓削は海開きでした。待ちに待ったというのか、ついにまた来てしまったというのか、ハードで楽しい海の季節です。ハードというのはただ砂浜が暑くて僕らのようなあんまり若くはない身体にキツいだけで、子供たちにとっては本当にいい時間だなあと思います。子供のエネルギーというのはすさまじい。そしてそのエネルギーが切れたらバッタリと眠ればいいだけなので、まじいいよなあ。 続きを読む…
フリック卒業

フリックスタジオからいただいた退職祝い。(古民家調査用の)レーザー測距器と保護メガネのセット。フリックらしくて、むっちゃ愛を感じるなあ(笑)
約4年というのは長いようで短く――しかしビッチリとつまった月日でした。2013年6月末をもって、お世話になった編集事務所フリックスタジオを退社しました。なんか最近のアイドルグループみたいな表現になるけど、できれば「退社」というより「卒業」と言いたい気分。この週末はそのお礼と今後の報告に、東京へ行ってました。 続きを読む…